男爵 いも 発祥 の 地。 北海道発祥のもの一覧(食べ物・企業・人物・文化など)

「男爵いも」発祥の地で、ポテト&道南グルメ~THE DANSHAKU LOUNGE 日本国内/札幌特派員ブログ

男爵 いも 発祥 の 地

メークインの名前の由来は、このじゃがいもの原種がイギリスで「May Queen」と呼ばれていたところからきています。 俵型で細長く、芽も浅いために皮がむきやすいという特徴があります。 中は黄色で粘りがあるために煮崩れ しづらいじゃがいもです。 デンプンが15%ほど含まれる男爵薯と違い、メークインは13〜14%となっています。 煮崩れしづらいため、カレーやシチュー、 肉じゃがなどの煮込み料理や、味でいえばポテトサラダにも使えます。 さっとお湯に通して歯触りのよいサラダでもいいでしょう。 糖分と水分が多いので、揚げ物などにすると茶色く変色してしまいます。 大きくなってもスがはいることは少なく、男爵薯よりも価格は高価ですが大変人気のあるじゃがいもです。 5月頃の メークインはとても甘みがあっておいしいのですが、秋の新じゃがの甘みはそれほどでもありません。 メークインの花は、白にピンクがかった紫色の絞り模様で とても可愛らしい花です。 メークイン発祥の地・厚沢部町 メークインの発祥の地として全国にその名を知られる厚沢部町。 メークインの誕生は男爵薯よりもずっとあとで、大正時代になってからでした。 詳しくは歴史の ページで述べていますのでここでは省きますが、厚沢部のシンボルマークはメークインをモデルにした「おらいも君」。 メークイン発祥の地碑も役場裏手に建て られています。 厚沢部町では他の品種と交わることがないように、じゃがいもはメークインのみしか栽培されていません。 徹底した管理の下で栽培されているのです。 ちなみに、北海道の他にメークインを優良品種に定めているところは青森、栃木、三重、福井、滋賀、兵庫、徳島、島根、福岡になり、これ以外にも準奨 励品種として指定している県もいくつかあります。 メークインの歴史.

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じゃがいもの歴史と日本!栽培の歴史はヨーロッパ・アイルランドから

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じゃがいも栽培の歴史 「じゃがいも」の原産地は南米アンデスからメキシコにかかる高原地帯(海抜5,000~3,000m)で、野生種は広範囲に渡って見られます。 ペルーからチリにかけての地域は世界三大穀物の一つであるトウモロコシの原産地でもあります。 じゃがいもは紀元後500年頃から栽培され、世界遺産である空中都市マチュ・ピチュの段々畑でもじゃがいもを栽培し、インカ帝国の重要な食料源となっていたのです。 その後、インカ帝国へ遠征を行ったスペイン人により16世紀、ヨーロッパへと広められます。 しかし、当初は食べ方をよく知らなかったこともあり、食中毒を起こすなど評判が悪く、なかなか食用には浸透しませんでした。 花や真っ赤な実を観賞する為の観葉植物としての栽培が主だったようです。 食料としての普及は、深刻な食糧飢饉に悩むドイツのフリードリヒ大王が、「じゃがいも」の生産性に目をつけて栽培を奨励することで、大きな広がりを生むこととなります。 じゃがいも日本へ 日本へは慶長3年(1598年)にオランダ人が長崎に持ち込んだのが最初で、ジャワのジャガトラ港経由(現ジャカルタ)だったため、「ジャガタラ芋」と呼ばれ、それが「じゃがいも」の由来となったと言う説や、ジャガトラ港には由来せず、当時のジャワがジャガトラと呼ばれていたから等、諸説あるそうです。 日本においても当初は観葉植物としての色合いが濃く、食用としてなかなか普及しませんでした。 「じゃがいも」の本格的な栽培は北海道へと移ることとなります。 北海道では宝永3年(1706年)に栽培が記録されていますが、本格的な栽培は明治以降になります。 北海道開拓史によって、アメリカ・ドイツ・イギリスから「じゃがいも」が北海道へ導入されると、高原地帯の原産であることからも伺えるように、北海道の気候・風土に適合し、大々的に栽培・定着し、今では広大なじゃがいも畑は北海道の代表的な風景とまでなっています。 ちなみに、「じゃがいも」として食べている部分は「塊茎」とよばれる地下の茎へと養分が蓄えられたもので、「さつまいも」は「塊根」つまり、根に養分を蓄えたものと、共に「いも」でも、食べている部分は違うのです。 みなさんしっていましたか? 「じゃがいも」は世界中に約2,000の品種があると言われていますが、現在、日本で栽培されているのは、その中の約20品種程度です。 じゃがいも界のエリート『男爵』について 今では、「じゃがいも」と言えば『男爵』と言うように、代表的な品種としての地位をゆるぎないものにしています。 中には「じゃがいも」の別名が『男爵芋』と思っている方もいるかもしれません。 その始まりは、1908年(明治41年)に函館ドック、当時の専務取締役である川田龍吉男爵が、イギリスのサットン商会から購入して試作をさせた中の『アイリッシュ・コブラー』という品種が広がり、後に川田男爵に、ちなんで『男爵芋』と呼ばれるようになったそうです。 この川田男爵は、非常に新しいもの好きで、彼の農場ではドイツ製の化学肥料や、アメリカ製の農機具を使うなどし、日本で最初に自動車を購入して函館で乗っていたそうです。 その自動車は現在も、函館のお隣、北斗市の『男爵記念館』で展示されているようです。 当時の言葉を用いるならば、とても『ハイカラな人』だったと言われています。 JAきたみらいのじゃがいも史 JAきたみらいの地域内では明治30年頃に屯田兵によって開拓が進められ、その頃から「じゃがいも」の栽培が行われています。 当時は入植者の重要な食料であり、「五升芋(ごしょういも)」と呼ばれていました(今でも年配の方は「じゃがいも」を「五升芋」と呼んでいる方もいらっしゃいます。 その品種は明らかではありませんが、「赤芋」や「白芋」と色々な変遷を経て、現在の「男爵」に定着したようです。 開拓使の入植以降は国際情勢の変動に伴い、燃料不足の対策として、無水アルコールの原料である、でんぷん加工用のじゃがいもが生産されていましたが、昭和45年に開かれた「大阪国際万国博覧会」を機に、食用のじゃがいもが増産されるようになり、でんぷん加工用のじゃがいもは減少する事となります。 出荷形態ですが、昭和30年代には各生産者が、個別に選別を行い、俵詰めで出荷する形態(個選)が続きましたが、昭和40年代の前半には農協施設の建設に伴い、施設へ集約して選果を行う形態(共選)が始まり、輸送方法も昭和50年代前半には大型のスチールコンテナを利用するようになりました。 このような変遷を経て現在の形態へとなりました。 JA合併後(平成15年以降)は、地域内の選果場において、共同選果・共同販売体制の中、生産者個々品質向上を目的として、専属の審査員によるサンプル抽出・検査の実施、残留農薬の自主検査実施を行っています。 また、平成21年に主力施設へ導入した「近赤外線センサー」によって、内部障害(じゃがいも内部の空洞や腐れ)の確認を行い、常に良質な「じゃがいも」を提供できるよう努めております。

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じゃがいも栽培の歴史

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「じゃがいも」ってうまいよな…。 筆者はじゃがいもが大好きである。 低価格なじゃがいもさんは、 底辺を生きる筆者のおなかを満たしてくれる心強い味方なのだ。 ちなみに、 筆者の初恋の相手のあだ名は「じゃがいも」だった。 じゃがいもを噛みしめると、ときどき甘酸っぱい記憶もよみがえってくる。 じゃがいものメジャーな品種といえば、 「男爵いも」と 「メイクイーン」だ。 「男爵」と「クイーン」って、おいもさんたちもなかなか大胆な名前をもらったもんである。 その由来は一体どこにあるのだろうか? 靴直し職人と男爵…全然つながりがないよ… どうして、日本にやってきた靴直し職人が、男爵にレベルアップしたのであろうか? その理由は、男爵いもを日本に持ち込んだのが、 「川田龍吉(かわだりゅうきち)男爵」という男爵だったからなのである。 「函館どっく」という造船所の専務取締役であった川田男爵は、1908年 明治41年 にアメリカ原産のアイリッシュ・コブラーを取り寄せ、 試験栽培を行った。 栽培はうまくいき、 じゃがいもの普及には無事成功したのだが…「ありゃ~? そういやあ、このじゃがいもの品種名、なんていうんだっけ~?」と、 元の品種名が不明…という事態に陥ってしまう。 そこで、「 川田男爵が日本に広めたじゃがいもだし、男爵リスペクトの 『男爵いも』でよくね?」と結論。 よって、このじゃがいもは「男爵いも」と呼ばれるようになったのである。 メイクイーン メイクイーンは 細長い外観で、 ねっとりとした食感。 煮込んでも煮崩れしにくいことから、煮物やカレーなどに向いている品種である。 原産国はイギリスで、現地での呼び名はやはり 「メイ・クイーン」。 意味は、 「5月の女王」だ。 「メイ・クイーン」とは、ヨーロッパの伝統的な5月祭 メーデー に登場する、 花の冠と白いドレスを身にまとった少女たちのことである。 この少女たちは、ローマ神話の豊饒(ほうじょう)の女神・マイアの象徴的な存在として、祭りを彩っていた。 そんな聖なる女王が、どうしてじゃがいもの名前に結び付いたのかはよくわからないが、メイクイーンは初夏になると、 白と紫の可憐な花を咲かせる。 その姿はまさに 「5月の女王」の名にふさわしい。

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